建学の精神

「愛」こそが、教育の基本であり、保育・福祉の原点。

人間愛を育む学校であることをめざし、
濱名山手学院全体の建学の精神を継承しています。

以愛為園

愛をもって園となす。

「愛」こそが、教育の基本であり、保育・福祉の原点。
そう考える関西保育福祉専門学校では、
「以愛為園」すなわち「愛をもって園となす」 を建学の精神としています。
創設者である濱名ミサヲ先生が掲げられた「教育は愛情である」という精神を受けつぎ、
人の心を受け入れる「受容の姿勢」と他人に対する「思いやりの心」を
人間形成の基盤とし、社会に貢献する心豊かな人間を育成します。

学校の歩み

沿革

1950年 5月
創設者濱名ミサヲ女史は、第2次世界大戦で自宅を全焼、また尼崎一帯は焦土と化す。世相は混乱し、生活も苦しく物資に事欠く中で、市の財政事情も悪く、当時尼崎市連合婦人会会長、および尼崎市教育審議会委員であった同人に私立幼稚園設立の強い要請もあり、かねてから抱いていた「戦後の復興は教育、特に幼児教育にあり」との信念から、苦境にあっても情熱を鼓舞し、資産を処分し幼稚園建設にふみきった。「以愛為園」すなわち「愛をもって園となす」の精神から、愛こそは教育の基本であり保育の原点である。人の心を受け入れる姿勢と思いやりの精神こそ人格形成の基礎を培うべき幼児教育の根本精神であり、建学の精神として最もふさわしいと考え、「愛の園幼稚園」と命名。尼崎市連合婦人会会長の要職を辞し、自ら園長となって幼稚園教育の道に専念し、陣頭に立って幼児教育に没頭する。
1953年 6月
本校の前身である「尼崎幼稚園教員養成所」を愛の園幼稚園に設置
1955年12月
愛の園幼稚園および尼崎幼稚園教員養成所を「学校法人濱名学院」に組織変更
1957年 3月
尼崎幼稚園教員養成所を「関西女学院」に改称 文部大臣より幼稚園教員養成機関としての指定を受ける
1957年10月
学校法人濱名学院に保母養成所を設置し、厚生大臣より保母養成施設としての指定を受ける
1969年 4月
関西女学院校舎を現在地に新築移転
1976年 3月
全国初の男性保育者が本校から誕生
1976年 4月
新しく発足した専修学校制度にともない保母養成所を吸収し、「関西女学院保育専門学校」として認可を受ける
1981年 4月
男性保育者の進出に対応し校名を「関西保育専門学校」に校名変更
1982年11月
初代校長逝去のため第2代校長に濱名弘子就任
1984年 4月
社会福祉専門課程社会福祉科開設
1985年10月
新校舎(西館)増設
1988年 4月
社会福祉専門課程介護福祉科開設
1989年 3月
新校舎(東館)増設
1989年 4月
校名を「関西保育福祉専門学校」に校名変更
1995年 1月
全学科の課程修了者に「専門士」の称号付与が認可される
1998年 4月
姉妹校「関西国際大学」を三木市に開学
2006年 4月
第2代校長濱名弘子が退任し、名誉校長に就任
第3代校長に羽白逸生就任
2009年 3月
社会福祉科を廃止
2009年 4月
姉妹校「関西国際大学」尼崎キャンパスを開設
2011年 4月
第3代校長羽白逸生が退任し、第4代校長に和泉喜久男就任
2014年 3月
保育科、介護福祉科が文部科学大臣から「職業実践専門課程」の認定を受ける
2019年 4月
第4代校長和泉喜久男が退任し、第5代校長に本田あけみ就任
2020年 4月
濱名山手学院に法人名変更

学内施設&設備紹介

本校は保育系専門学校の中では、県内最大級の規模を誇り、
専門学校ではめずらしく食堂や図書室、体育館があります。
また、ほぼ全館で無料でWi-Fiを利用できるのも
本校の自慢です。

音楽室

音楽室

防音設備を完備。ピアノのレッスンや合唱など実践的な技術を修得。

図工室

図工室

図画工作の専用教室。造形的な感覚や感性を育み、表現力を育成。

ピアノ個人レッスン室

ピアノ個人
レッスン室

個人レッスン室を多数完備。自由に練習できます。

模擬保育室

模擬保育室

ベビーベッドやままごとスペースなどを設置し、現場さながらの環境を再現。

体育館

体育館

体育の授業やクラブ活動、レクリエーション活動で使用。

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学生ホール

学生ホール

学生たちの憩いのスペース。昼食タイムや空き時間は大賑わい。

調理実習室

調理実習室

実際に調理しながら、高齢者のための栄養学や調理学、食品への知識を深めます。

就職相談室

就職相談室

就職担当教員が就職の悩みや相談に対応。求人や資料が自由に閲覧できます。

視聴覚室

視聴覚室

オーディオ装置と大スクリーンを完備。視聴覚教材による授業や学生による実習体験発表会も。

図書室

図書室

蔵書は約1万3千冊、授業や実習で役立つ専門図書や雑誌が充実。